パパママバイバイ〜1977年横浜市米軍機墜落事件

Posted on 2004-8-21 (土) by テル.
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たまごの距離さんのエントリーを読んで、この事件のことをかすかに思い出し、リンク先の資料を読みながら、思わず泣いた。そして、日本という国が、はじめから国民を守ろうとはしていないこと、あの時も今も、戦前も戦後も一貫して、それが変わらぬ日本国の本質だし、その本質を身をもって知った人間は、臭いものに蓋をするように、殺されさえするのだということに、言い知れぬ恐怖と絶望を感じた。あまりに理不尽だ。
そして、犠牲になった二人の小さな命の母親・和枝さんの人生最後の日々はなんというむごさだろうか。この方の死をどう受け止めるか。どう報いたらいいのか。命をこんな形で奪われないようにするにはどうしたらいいのか。
国家という怪物どもをどうしたら無力化できるか、この問題を解かないかぎり、掛け替えのない一人ひとりの命は奪われ続けるだろう。私の考えはどうしてもアナーキズムへと向かっていく。国家はとうてい否定しようのない巨大なシステムとして君臨し、アナーキズムは実現可能性のない夢想と片付けられてきた。しかし、そんなことを言っていたら、いつまでたっても安心して暮らすことなどできない。今この時に突然、頭の上に何十トンもの鉄の塊が落ちてこないともかぎらないのだ。事件・事故が起きてはじめて、そんな危険と隣り合わせであったことに気が付くのだが、気が付いた時には死んでいたのではたまらない。そのためには、夢想だろうがなんだろうが、国家という怪物どもをどうにかしなければならない。
横浜の事件からとんだ飛躍をしてしまった。無駄な考えだと思いつつ、しかし諦めることができないのだ。

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アメリカ軍ヘリコプターの墜落事件に思う。

Posted on 2004-8-18 (水) by テル.
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沖縄国際大学の構内に普天間基地所属の米軍ヘリコプターが墜落した。とうとう落ちたかという感じだ。夏休みで学生・教職員があまりいなかったので大惨事には至らなかったのが幸いだが、部品は周りに散乱し、民家のドアを貫通したのもあって、人命に関わる被害が出なかったのは、まさに奇跡的だ。
しかし、直後に米軍が墜落場所を占拠し、県警や消防、大学関係者まで排除し、ついに墜落したヘリの機体は、警察などの現場検証も受けることなく、米軍が撤去してしまった。政府は、これが日米地位協定に基づくものであるかのような態度を取っているが、そんな規定は地位協定にはない。アメリカのヘリが落っこちたら、そこはアメリカだとでも言うのだろうか。
つまるところ、日本はアメリカの属国なのだ。未だに占領されていると言ってもいい。そしてアメリカは世界のあちこちで戦争をしている、つねに戦時下にある国。その国が属国で訓練中に起こした事故の機体をどうしようと、自分たちの自由だというわけだ。
それに対して、政府はなーんにも言わない。謝罪を要求すらしない。「遺憾だ」と誰に向かうでもなくのたまうだけだ。三日とたたずに飛行を再開しても文句なんか言うはずもない。自分の国土を踏みにじられ、国民を傷つけられても、どうでもいいらしい。
首相は休暇中を理由に沖縄県知事に会いもしない。ほんの一、二時間会うことすらせず、休暇という予定をこなしているらしい。人命に害がなかったのは奇跡的であるにすぎない重大事故にたいして、首相はこういう態度を取って、恬として恥じない。ほんとに国民の命というものをなんだと思っているのか。あまりにも鈍感だ。
国は国民の命を守ろうとしない。自分の命は自分で守らなければならないようだ。天からいつ降ってくるかわからない鉄の塊に対して、どうやって自分を守るのか。そんなものが降ってこないようにしなければならない。つまり、基地撤去を闘い取ることが自分の命を自分で守るということなのだ。

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戦争で死ぬことは特別に悲しいことである。

Posted on 2004-6-3 (木) by テル.
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いつもながら、えにしださんの文章には共感する。

「ジャーナリスト襲撃への眼差し」
 私たちが手放してはならないのは、まさに戦場に生じる出来事についての悲惨や驚きや怒りの固有性であり、唯一無比の、かけがえのない価値に対する感覚にほかならない。一瞬の出来事が、百年の生を脅かすという戦場の現実の中で、いかに大量の死が報じられようとも、その大量の死の報道のために、ひとつひとつの災いがもつ固有性への驚きや恐怖や悲しみを、私たちが失ってよいはずはない。

本当にそうだ。戦争が一人ひとりの掛け替えのない命を奪う人殺しなのだという一点をはずしたところで議論してはいけない。
天寿を全うした人の死ですら悲しいものなのに、病気とか事故、ましてや戦争での死は、特別に悲しいことであろう。死ななくても済んだ命を無理やり奪われるのだから。その恐怖や悲しみへの眼差しを失った者が冷静に語る「戦争」や「戦場」の「事実」とやらを信用してはならない。

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イラクの捕虜虐待は一部の者の仕業ではない。

Posted on 2004-5-11 (火) by テル.
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こういう事実には目を背けたくなるが、今も世界のあちこちで起きているのだと思うと、そして、それは自分の身に起こらないとも限らないことだと思うと、黙ってはいられない気持ちになる。しかし、何をどうしたらそれらをやめさせる力の一部になることができるのか。
なだいなださんのサイト「なだいなだのサロン」の「打てば響く」5月11日付には、この捕虜虐待についてこう書かれている。

打てば響く
イラクでは写真が出回ったために問題になったが、もとはグアンタナモの収容所の捕虜処遇を、世界の世論が放置してきたところにある。ここでの尋問の仕方が、スタンダードになって、それがイラクで写真の形で現れたのだ。決して、「一部の恥ずべき連中の仕業」などというものではない。

ここに出てきたグアンタナモとは、キューバの南東部にあるグアンタナモ市の湾内にあるアメリカ軍の基地のことだ。恥ずかしながら、今回初めて知った。
キューバ・グアンタナモベイ海軍基地 −”敵国”の中の軍事基地

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撤退あるのみ。その2

Posted on 2004-4-10 (土) by テル.
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いろいろなblogで拘束された三人の不用意を批判し、撤退はテロリストの要求に応じることだから反対という意見を見た。

死ぬ覚悟で行ったのだから、放っておけと言うに近い意見には情けなさを通り越して怒りを感じる。なぜそんなに人の命は軽くなったのか。では、自衛官は死ぬ覚悟で行ったのだから、行かせた自衛官の家族は、自衛隊が戦闘に巻き込まれても、頑張れ、死ぬまで帰ってくるなと言わなければならないのか。自分の家族を信じるというのは、生きて帰ってくるのを信じるということであって、亡骸になって帰ってくることを手をこまねいて待つということではない。命が奪われようとしている家族を前にして、助けてくれと言うのが自然なのであって、覚悟の上だから死んでも仕方がないなどとやせ我慢を言ってきたのが、戦前の日本人の多くだろう。

兵を引くことは、たいしたことではない。あとでいくらでも挽回できるだろう。依怙地になって、テロに屈しないなどという「原則」論を振り回していたら、命がいくらあっても足りない。犯人に与えてしまった口実を取り除くこと、これが取るべき道だと思う。
犯人の要求に応じての撤退が嫌ならば、嫌でいい。そうではなくて、政府の独自の判断として撤退することはいくらでも可能なはずだ。宿営地はもはや戦闘地域だ。だから撤退だ。別に不思議な判断ではない。それが三人の命をも救うことになるとしたら、すぐにでも撤退を表明すべきではないのか。この際、メンツなどというつまらないものはさっさと脱ぎ捨てていただきたい。

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ボランティアサイト『イーココロ!』からの緊急メール

Posted on 2004-4-9 (金) by テル.
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「イーココロ!」というボランティア支援サイトからの緊急メールマガジンをまるごと転送可ということなので、超長文ですが、以下に転載します。

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三人の命を守るため、自衛隊の撤退を求める緊急署名。

Posted on by テル.
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チェルノブイリへのかけはし」というボランティアグループのサイトが、「今井君(かけはしのバザーのボランティア)、高遠さん、郡山さんの命を守るため、自衛隊の即時撤退を求める緊急署名にご協力下さい。」という呼びかけを行なっている。
Peace Event Calenderでは、転送を呼びかけているので、以下、「チェルノブイリへのかけはし」から引用する。

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撤退あるのみ。

Posted on by テル.
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撤退という、今できる唯一可能な手段をとることなく、もしも人質の命に別状があるようなことが起こるならば、小泉首相はその責任をどう取るつもりなのか。自衛隊のイラク派遣という余計な手出しがこの事態を招いたのだ。
自衛隊は撤退しても、また派遣することはいくらでも可能ではないか。しかし、もしも万一の場合に失われた人命を、はたしてどうやって取り返すつもりなのか。
情報収集をしているということが、なにか大したことでもあるように繰り返し、時間を空費している。そして確たる情報も得ていないのに、自衛隊は撤退させないという結論だけは早々に出してくる。
この事態を政府はどうにかして自分たちに有利なように利用しようとしているとしか思えない。
こんなことを繰り返しながら、我々は戦前と同じ世界へと連れて行かれようとしている。もうこんな憎悪の連鎖は止めさせなければならない。

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イラク戦争から1年

Posted on 2004-3-20 (土) by テル.
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わが国の首相と言われるお人はいよいよとんでもないことしか言わなくなった。国民をバカにするのは止めてくれないか。「テロと戦う覚悟があると思う」だと。冗談ではない。頭がどうかしているとしか思われない。国民はそんな覚をした覚えはないし、するつもりもない。どだい小泉すら、そんな覚悟などあるはずがない。あるというならば、自分でアルカイダととことん話をしてテロを辞めさせる努力をすべきだろう。全部人任せではないか。
証拠もないのにイラクには大量破壊兵器が「今でも私はあると思っていますよ」とは何をかいわんやである。
すぐにも辞めてもらいたい。
辞めないならば、辞めさせなければならない。選挙で云々と言うならば、今度の選挙でははっきりと決着をつけなければ、日本という国は、無謀な戦いをだらだらと続ける、かの大戦の敗戦前と同じような国になってしまうと思う。歴史を逆戻りさせてはならない。

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Nスペを見た

Posted on 2004-2-4 (水) by テル.
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昨日、「陸上自衛隊 イラク派遣 〜ある部隊の4か月〜」というNHKスペシャルを再放送で見た。番組の最後で、隊員が語る心境には真実味があった。

「撃ちたくはないけれど、自分がやられる、仲間がやられるとなったら、引き金を引かざるをえなくなる」
「撃たなければならない状況になっても、最後の最後まで撃つかどうか、どうしたら撃たないですむかを考える」
「撃った隊員は帰ってきても一生人を殺したということを背負っていかなければならないのだろう」
「撃つ・撃たれるという状況になるような隙をつくらないようにしなければならない」
(記憶に基づいているので、実際の言葉とは違っています)

一つひとつ言葉を選ぶようにして語る隊員の表情には、迷いと苦渋が表れていた。一人ひとりの隊員にこうした瞬間の決断を迫り、その結果、一人ひとりの隊員が拭い去ることのできない「殺人」という意識を背負い続けるのだ。どんなに崇高な目的があろうと、最前線の現場での一人ひとりの心の中ではこうした逡巡と諦めとが存在している。それをまったく危険のないところで他人事のように命令したのが、石場であり小泉なのだ。
国会審議中にもかかわらず、防衛庁ばかりか、自衛隊の各部隊でも、派遣を前提として準備が進められていたという。訓練の内容が変わるどころか、車両の改造までしているのだ。こういうことでいいのだろうか。数で押し通せる国会での審議などもはや儀式であり、派遣は既に決定事項だったわけだ。文民統制などどこ吹く風だ。これらは今に始まったことではないのかもしれない。無知でしたでは済まなくなる、という思いを強くした。

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